2015年1月23日金曜日

『七人の侍』にみる大東亜戦争の影

黒澤明監督の不朽の名作『七人の侍』を観ました。
ここ最近、戦争関連映画をみるにあたり昔の映画のクオリティの高さを知り
積極的に見てみようと思わされ、やはり黒澤映画ということで借りてきました。


第一印象は、戦国時代を描いた映画ですが、これは日本人の歴史なんだと感じました。
以下、私の受け取った『七人の侍』のストーリーです。



黒船(野武士)の来襲におびえる日本(ムラ)
それまでにもヨーロッパ諸国による奴隷貿易や収奪により国を疲弊させていた国
民(農民)は、世界(代官所)に窮状を訴えようにも、世は帝国主義世界(戦国
時代)弱肉強食の乱世で自らの無力さを嘆くしかなかった。

そんな折、欧米列強へ対抗するべく舵をきる勇気のある者達(利吉ら)が現れる
のである。志士たちは欧米列強へ対抗するために国を発ち、かの地へ留学する
(侍を集めにムラを出る)のである。

ほどなくして、国外(ムラの外)では日本への進出を狙う清(強盗)が朝鮮(子
供)に出兵する(人質にとる)事件が発生する。
これを阻止すべく明治維新を成し遂げた帝国軍隊(ちょんまげを切り落とした勘
兵衛)が清と戦争・勝利し、朝鮮を保護する(子供を救う)事態に発展する。日
清戦争である。

これに気をよくした国民(農民)は自らは倹約を是とし(粟稗で耐えしのぐ)軍
備を増強(侍を募り米を食わす)していくのである。
なかでも東郷平八郎(平八)、山本五十六(五郎兵衛)をはじめとし、維新をた
たかった歴戦の志士たちの意思を継ぐ者(久蔵、七郎次)も加わり富国強兵を推
し進めるのであった。中には年若い青年(勝四郎)も侍を夢見て戦場へと駆り出
されていく。


富国強兵を進めるに際し、軍部と国民(武士と農民)の意思統一を図る必要が
あった。そこで圧倒的に強く、一方でやさしさを兼ね備えた太陽のような存在で
ある天皇陛下(菊千代:菊の御紋・千代に八千代に)を通して皇国の一体化が図
られてく。


軍備を増強し朝鮮の自立、台湾と周辺地域(ムラの周囲)の防護を固めていく過
程で、朝鮮を足がかりに中国日本の権益を狙うロシアはドイツ、フランスと組み
三国干渉を仕掛けて日本の権益を奪う(侍を雇うための米が盗まれる)のであ
る。祖国防衛のため、日本は対露開戦に向け外貨の調達(勝四郎の資金援助)を
行いその志を継続するのである。

そうして日本は日露戦争(物見でやってきた野武士3人)へ突入し、東郷平八郎
らの活躍もあり、歴史的な勝利を得るのである。

欧米列強に対し圧倒的な戦力差のハンデを背負う日本は、緒戦に主導権を握り、
早期講和に持ち込むという戦略として米国に対しハワイ真珠湾の米国艦隊に奇襲
攻撃を敢行し(山砦への夜討ち)大東亜戦争の火蓋がきられた。
真珠湾攻撃は大きな戦果が得られたように思われたがアメリカによる暗号解読
(捕らわれた利吉の女房の事件)等による影響により、想定していたダメージを
与えるまでにはいかなかった。そこに至るまでには欧米列強からの開放を目指し
た東郷平八郎(平八の銃死)もこの世を去っている。


日本は八紘一宇(「○○○○○○△た」)の理念を掲げ、植民地支配にあえぐ東南アジ
ア諸国の自主独立を目指し、戦線を拡大していった。


開戦初期は連合艦隊司令長官山本五十六(五郎兵衛)をはじめとする大日本帝国
軍の活躍もあり、敵部隊の補給・後方支援を絶つ(騎馬兵の誘い込みによる個別
撃退)戦略で連戦連勝であった。しかし、前線の陣頭支援に立った山本五十六は
米国に撃ち落されてしまい戦局は逆転していく。(前線での五郎兵衛の銃死)

戦局は、いよいよ本土(ムラ内)を巻き込んだ全面戦争へと泥沼化していく。
本土防衛のため、沖縄(離れ家)は捨石となり、老人、女性、子供など非戦闘員
の多くが犠牲となった。

泥沼に陥った戦争(雨中泥沼のムラ内での戦闘)はついに広島、長崎に2発の原
子力爆弾(野武士頭目による2発の銃弾)を落とされるにおよび、8月15日天
皇陛下の詔により終結にいたった。(菊千代の最後の一撃により野武士の頭目を
倒した)またそれは同時に日本における侍社会の終焉(久蔵の死)をも、もたら
したのである。


その後、日本は連合国総司令部GHQの7年に及ぶ占領政策を経て、昭和27年
に主権を回復した。国民生活は大東亜戦争後に勃発した朝鮮戦争の特需に支えら
れ、急激な復興を遂げていく。(活気あふれる農民の田植え、お囃子)

GHQ主導による戦争放棄により、国民は祖国のために大東亜戦争を戦った多く
の犠牲者の礎により守られたということもおろそかに(侍、農民の墓は花も手向
けられず、勘兵衛ら生き残った侍も冷遇された)、これから高度経済成長社会へ
と突入していくのである。


本作が公開されたのはGHQの占領政策が終わりを迎え、日本が主権を回復した
昭和27年4月から2年後の昭和29年4月である。
一方映画の時代設定は1586年とされ、種子島にポルトガルより鉄砲が伝来し
たとされる1543年(諸説ある)から約40年ほど経った戦国の世である。
つまり、日本が諸外国からのさまざまな干渉を受け始めた時代(映画設定時代)
から始まり、大東亜戦争終結を迎え、主権を回復するまで(映画公開時)のわが
国の壮大な物語をモチーフとして、その圧倒的なスケールとリアリティ、斬新な
表現手法、活力あふれる役者陣により、紡ぎだしているのだ。
※黒澤明監督は七人の侍にはトルストイの『戦争と平和』が根底にあると語って
います。
 ナポレオン時代のフランス、ロシアをはじめとした戦線の内容が着想となり
 日本のたどった戦争と平和たる鉄砲伝来から大東亜戦争敗戦、戦後の復興まで
 を描くというのは自然な発想ではないかと思われるのです。

この映画には、日本国の伝統、文化、風俗、道徳、侍魂が込められているのであ
る。それが国内外を問わず見るものを虜にし、日本映画の最高傑作と称され、ハ
リウッドをはじめ、諸外国に映画製作のバイブルとなったのだと思われる。

今回初めてみたのだが、すぐにこれは日本の外国との闘争の歴史だと思ったのだ
が、ネット上で『七人の侍』の各種レビュー、解釈を見てみてもそのような感想
を持たれる意見はあまり見られなかった。ただ2chに自衛隊賛美の映画である
旨のスレがあったが、私としてはそれは表面的なものに思われ賛同できなかった。

菊千代がどこからか持ってきた家系図を武士たちが揶揄する場面があるが、終戦
直後の日本で天皇陛下に対しての強烈に風刺を行っていることもあり、真実は隠
されているように想像される。もちろん菊千代の圧倒的なカリスマを持って武士
と農民が結束し勝利へと導かれていくのは単なる批判でなく、黒澤監督をはじめ
とする製作陣の天皇陛下への畏敬の念が込められているものと思われます。



ありがとうございました。

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